マウントバッテン提督 | the jod-tinktur@amebaBlog

マウントバッテン提督

「東京裁判」は誤り=英提督の批判、公文書で明るみに ( Yahoo!ニュース ) 放置してたら元記事消えた...

太平洋戦争の終戦前後に連合国軍の東南アジア最高司令官だった英海軍のマウントバッテン提督が、東条英機元首相ら「A級戦犯」を裁いた1946~48年の極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)の開催を誤りと批判していたことが10日までに判明した。
 東南アジアにおける対日戦の最高指揮官だった英軍首脳による東京裁判批判が終戦60周年の節目に明るみに出たことで、同裁判の正当性をめぐる日本国内の議論に一石を投じそうだ。
 英国立公文書館に保管されている48年の同国政府文書によると、マウントバッテン提督は、当時進行中だった東京裁判を念頭に、「軍は純粋に政治的な性格の裁判にかかわるべきでない」と主張し、日本の戦争指導者を戦犯裁判にかけることに反対を表明した。


南北中が小泉首相の靖国参拝に反対するのは、東京裁判(極東軍事裁判)でA級戦犯にされた人等が靖国神社に合祀されているからなんですよね。

で、その東京裁判なんですが、戦勝国(連合軍)が敗戦国(日本)を裁くかっこうになっており、判事は連合軍(戦勝国)のアメリカ・英国・ソ連・中華民国・カナダ・ニュージーランド・フランス・オランダ・インド・フィリピン・オーストラリアから1名ずつの11人で、アメリカ・英国・ソ連・中華民国・カナダ・ニュージーランドの6ヶ国の判事の多数判決(フィリピンのジャラニフ判事は、6ヶ国の判決では軽いと言ってたそうなので、実質7ヶ国なんでしょうか?)にて有罪に決まったんですが、

 ○ オーストラリアのウィリアム・F・ウェップ裁判長とフィリピンのジャラニフ判事は、法廷に持ち出された事件に前もって関与していたので判事としては不適格らしいし、、、(´Д`;)
 ○ ソ連のI・M・ザリヤノフ判事とフランスのアンリー・ベルナール判事は法廷の公用語である英語も日本語も使用できなかったらしいし、、、(;´Д`)イミワカンネ...
 ○ ベルナール判事は後に、「すべての判事が集まって協議したことは一度もない」と語ってるし、、、(-_- ; )イイノカソレデ...
 ○ さらに、中華民国の梅汝敖判事なんて、自国において裁判官の職を持つ者でないし、、、( д)゜゜ ンナデタラメナ!
 ○ 11人いて、国際法学の学位を取得してるのはインドのラダ・ビノード・パール判事だけだし、、、(-_-;) ウムム...
 ○ 当のパール判事は、日本の無罪を主張してるし。w
 ○ さらに、パール判事は後に息子プロサントに、「裁判所が判事団に指令して、あらかじめ決めている多数意見と称する判決内容への同意を迫り、さらにそのような事実があったことを極秘にするために、誓約書への署名を強要された。」と語ってるし、、、(;´Д`) マジッスカ

・・・等等、色々と問題点があるみたいです。


で、今回さらに、当時東南アジア地域連合軍総司令官だったマウントバッテン提督が、東京裁判当時に裁判について否判的なコメントを残していたコトがわかったそうです。。
で、マウントバッテン提督って誰? バッテンと聞くとこの人しか思い出せないわけですが。w

東京裁判 ( サウスアイランド公国ブログ自治領 )
マウントバッテン提督は、イギリスの伯爵、子爵、男爵で、イギリスのヴィクトリア女王の曾孫、そして現在の女王エリザベス2世の王配であるエディンバラ公フィリップ・マウントバッテンの伯父に当たります。

( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー

マウントバッテン提督の独白 ( 雪斎の随想録 )
マウントバッテン初代伯爵は、「ビルマのマウントバッテン」と称され、第二次世界大戦中は東南アジア地域連合軍総司令官を務め、戦後はインド総督、地中海艦隊司令長官、海軍軍令部総長の要職を歴任した。

( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー


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[ 参考 ]

極東国際軍事裁判Wikipedia )
東京裁判琢磨の自分史 )
大東亜戦争 戦後の証言 ( 全国戦友会連合会 )
極東国際軍事裁判(東京裁判)  ( 電脳日本の歴史研究会 )
インド(チャンドラー・ボーズとバール判事他)葵花向日 )
軍国裁判 / パール判事 ( 殉国之碑 )